怒りの原作モデルは市橋容疑者の事件?映画と小説の違いはあるの?

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映画化されて話題になっている『怒り

原作は上下編の二部構成になった小説で、原作者は吉田修一です。

小説や映画をご覧になった方はわかると思いますが、この作品は実際にあった市橋容疑者の事件がモデルになっています。

今回はそのモデルとなった事件の細かい描写や映画小説違いについて深掘りしていきます。

怒りのあらすじ

ある夫婦が惨殺された現場に「怒」の血文字を残して未解決となった事件から1年後。

犯人は「山神一也」という人物だと判明するものの、整形手術をして逃亡を続けています。

疑わしいとされるのは3人の男。千葉県・房総の田代哲也、沖縄の離島にいる田中信吾、東京都内の大西直人。

3人とも自分の過去を隠して生活をするがこの中に犯人はいるのか。

映画でも小説でもフォーカスがあてられるのは犯人【山神】に似たの特徴を持つ3人です。

この物語は誰もが知っている事件がモデルとなっています。

怒りの原作小説のモデル

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原作者である吉田修一さんもこの小説のモデルとなる事件が『市橋達也の事件』であることを明言しています。

「念頭にあったのはお察しの通り市橋達也の事件です。といっても僕は彼の2年半に及ぶ逃亡劇や事件そのものより、目撃情報の通報者に興味があった。街で似た男を見た程度ならともかく、身近な人間に対して疑念が生まれていく“事件の遠景”に胸騒ぎを覚えたんですね。

当初は立場や関係の違う設定を十数通り考えたんですが、さすがに全部は書き切れず、絞った結果がこの3地点。そして3人のうち犯人を誰にするかも決めないまま、彼らの正体を巡って引き起こされる人間模様を書き進めていきました」

引用:NEWSポストセブン

市橋達也の事件時の行動

2007年3月に起こった事件ですが、市橋達也の逃走劇は凄まじいこのでした。

逃走初日は放置自転車と電車を利用して秋葉原まで移動して、立ち寄った病院の障害者用のトイレで自己整形手術を行っています。

鼻翼を左右に縫って縮め、ほくろをカッターナイフで切り落とし、下唇を小さくするためにハサミで切るというものでした。

怒りで表現されている箇所のみにフォーカスを当てると、市橋達也は無人島で生活することを考え、沖縄のオーハ島に向かうことを選択しています。

しかし、準備不足で最初はオーハ島への渡航に失敗して、資金が付きたため沖縄の建設現場で偽名で働いていました。

その後は大阪での住み込み労働とオーハ島での自給自足を繰り返す生活を送っていました。

2008年には形成外科で眉間の整形手術を受けています。

オーハ島へ2回目の滞在ではコンクリートブロックで出来た小屋で生活し、魚やヘビなどを獲ったり、野菜を栽培して生活をしていたそうです。

そして、オーハ島に移動をしようとしていたところ2009年11月にフェリーターミナルで逮捕されています。

映画はこの市橋達也の逃走劇をモデルにし、その一部を違った形で再現していることがわかります。

映画で再現されている描写

八王子事件の犯人である山神は”沖縄の離島にいる田中信吾(森山未來)”だったわけですが、離島で生活していたり、住み込みで肉体労働をして資金を調達していたという点は完全に市橋達也の行動をモデルとしています。

また、コンクリートの小屋で生活しているという描写もそのうちの一つですね。

映画で使われていたコンクリートの小屋はわざわざ撮影のために作ったものだそうです!

山神が滞在していた星島は実在はせず、沖縄本島の西側にある無人島の『前島』が使われています。

整形については映画では物語の終盤に頬のほくろをハサミで切り落とそうとしているシーンだけでした。

どのように沖縄に来たのかということまでは表現されていないのは逃走劇ではなく、フォーカスが当てられているのはあくまでも人相が似ているだけでも身近な人間に対して疑念が生まれてしまう余波の部分だからだと思います。

映画と原作小説の違い

映画は原作小説に忠実で、ほぼ原作通りと言ってもいいと思います。

しかし、明らかに異なる点は山神が辰哉に刺されてからその後の描写が一切ないという点です。

小説では泉が捕まった辰哉を助けるために米兵から暴行を受けた被害者であることを供述します。

そして、泉は周囲の目が気になって引っ越すことになり、辰哉からは『自分が田中を刺したのは裏切りが許せなかったから』という返信を受けて物語が終わります。

映画ではニュースで辰哉が逮捕されることが報じられ、泉も辰哉が逮捕されたこと知って星島に渡ります。

コンクリートの小屋に書かれた文字を読み、辰哉が自分のことを思って田中を刺したことを知って海に向かって絶叫して映画は終わります。

映画を見ていて終始気になるのは犯人は誰なのか?ということよりもなぜ身元を隠さなければいけなかったのかということです。

犯人は一人とわかっている中で犯人らしき人物が3人の話が並行して描かれていくのは不思議な感覚でした。

タイトルの『怒り』というのは加害者側の感情というよりは、信じていた人に裏切られた辰哉の感情の方を表しているのかなと思いましたね…。

人によって受け取り方が大きく違うかもしれませんが、個人的には非常に考えさせられる作品でした。

最後まで読んでくれた方、ありがとうございました!

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