エヴァンゲリオンはキリスト教を冒涜してる?意味はギリシャ語で福音?

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作品発表以来、ファンに愛されて現在も高い人気を誇るエヴァンゲリオン。

もしかすると内容を知らなくても、一度はキャラクターや主題歌をテレビや街中で見かけて知っている人も多いのではないでしょうか。

今回はそんなエヴァンゲリオンの、キリスト教を冒涜してるのか、意味はギリシャ語で福音なのかについて深堀りしていきたいと思います。

エヴァンゲリオンとキリスト教の関連性とは

エヴァンゲリオンの作中にはキリスト教を思わせるモチーフや用語が登場します。

例えば作中には「使徒」という人類を脅かす生命体がいるのですが、使徒はキリスト教に関連する単語ですので、キリスト教から直接的に引っ張ってきていますよね。

(ただし、キリスト教で意味する使徒はキリストの弟子で、キリストの功績を普及するために活動した人たちを指すのでエヴァンゲリオンの使徒とは中身が異なり、単語だけ引用している形になります。)

 

作中に登場する「人類補完計画」もそのうちの一つなのではないかと思います。

人類補完計画とは、ゼーレ(主人公の碇シンジたちが所属する組織であるネルフ(NERV)の上層部)が目論んでいる計画のことで、人類を個々の存在(人間一人一人)から単一の集合意識に昇華して人類全てが単一の生命体として生きることを目的としています。

そして、作中では使徒が永遠に生きることのできる「生命の実」を持つ存在であり、人類は「知恵の実」を持ち、その知能ゆえに生存・繁栄した存在として描かれています。

人類補完計画は、単一の集合生命体になる過程で、人類に永遠の命(生命の実)を与えて、知能を持った状態で生き続けることを可能にする意図していました。

 

これは、聖書の「生命の樹」と「知恵の樹」のエピソードから影響を受けたのではないかと思います。

聖書では、アダムとエヴァがいるエデンの園という場所には、生命の樹と知恵の樹という

2本の樹がありました。

生命の樹の実は、食べると神のように永遠の命を得ることができ、知恵の樹の実を食べると、神のような知恵を身につけることが可能とされています。

神は人間に対して、エデンの園の知恵の樹の実以外は食べることを許可していましたが、人間は知恵の樹の実を食べてしまい、楽園を追放されてしまいました。

 

知能を身につけた人間が、もし生命の樹の実を食べて永遠の命を得たら完全完璧な存在になってしまいますよね。

このように、聖書のこのエピソードからインスピレーションを受けて、人類補完計画というものが生まれたのではないかと思います。

エヴァはキリスト教を冒涜・批判した内容 ?

エヴァンゲリオンはなぜキリスト教を冒涜した・批判した内容と言われてしまうのでしょうか?

そのうちの一つに、作中に登場する使徒が敵として登場することが挙げられるのではないかと思います。

使徒はキリスト教ではイエス・キリストの弟子であり、キリストの教えを福音(喜ばしい知らせ、キリストによって人類が救われるという教え)として人々に伝える人たちです。

いわば、キリスト教的には良い存在として登場します。

しかしエヴァンゲリオンの作中では、人類を脅かす敵として描かれています。

いわば、悪役と言えるでしょう。

そして元々使徒の側が地球に繫栄するはずだったのに、人間の側が繫栄し、悪役である使徒をエヴァンゲリオンが撃退する、倒すという構成になっているため、そのように感じられる方もいるのではないでしょうか。

 

しかし個人的には、結論から言うとこの作品はキリスト教を冒涜・批判した内容だとは感じませんでした。作品のテーマはキリスト教へのアンチテーゼではないと思います。

宗教や戦争からインスピレーションを受けているアニメ・漫画作品は数多くあり、エヴァンゲリオンもそうした要素を取り入れた作品の一つなのではないでしょうか。

というのも、後述のエヴァンゲリオンの意味とも繋がってきますが、あくまでもエヴァンゲリオンの作品のテーマは宗教批判ではなく、主人公のシンジが自身の運命と戦い、道を切り拓いていくことがテーマであると感じるからです。

 

キリスト教に関する海外の反応

調べた範囲では海外の方々からの、エヴァンゲリオンの作中でキリスト教を思わせる単語や描写、オマージュに対する反応で批判は見当たりませんでした。

しかし、海外は日本よりも宗教が文化、人々の生活として身近に根付いている側面があるので、もしかするとキャラクターデザインや劇中での言い回しや単語などが、海外の方々の刺激を緩和・あるいはしないようなものに変えられている可能性はあるかもしれませんね。

例えばワンピースのアニメや遊戯王カードも宗教の関係上、海外と日本でデザインが異なり放映や販売されていると聞いたことがあります。

やはり活字ではなく、ヴィジュアルを伴うものの方が、視覚情報なのでわかりやすく認知しやすいので規制が強いのかもしれません。

一方でストーリーについては日本でも賛否両論あったように、同様に海外でも視聴者によって意見が真っ二つになっているようです。

 

エヴァンゲリオンのギリシャ語での意味

エヴァンゲリオンをギリシャ語に当てはめるとeuangelion(エワンゲリウム)という単語にあたり、これは福音を意味します。

euangelion=福音

福音とは‘‘喜ばしい良い知らせ”、‘‘(イエス・キリストによって人類が救われるという)キリストの教え”を意味します。

作中のエヴァンゲリオンは、人類を脅かす「使徒」という生命体から人間を守る人型兵器を指します。

これらの意味を踏まえると、推察の域になってしまいますが、人類を脅かす使徒から人間を守ることによって人類が救われるという意味を込めたのではないかと思いました。

あるいは、人類自体が第18使徒のリリンであることと、新劇場版のエヴァの世界線がカヲルの円環の話からループしている世界線であり、その世界で辿った結果の一つがエヴァの存在する世界からの脱却であると考えると、

シンジ達や人類がエヴァや使徒の存在しない世界を選択することで、自分達が決められた運命(エヴァや使徒と戦い続ける世界をループすること)から逃れて自分達の意志で生きることを勝ち取る(=救いであり、喜ばしいこと)…、

こうした意味を込めてエヴァンゲリオン(福音)といるタイトルにしたのではないかと思いました。

由来:旧約聖書の創世記に登場する人類最初の女性

旧約聖書の創世記には、エバ(ギリシャ語:Ευά:エウア、エヴァ)という人類最初の女性が登場します。(キリスト教新共同訳聖書と口語訳聖書にてエバと表記されているそうです)

エヴァはアダム(神に創造された最初の人間)の妻であり、神がアダムの体の一部から創造して生まれました。

上記してきたようにエヴァンゲリオンは聖書の要素を作品に散りばめていることがうかがえるので、こうした経緯を踏まえるとエヴァンゲリオンは人類最初の女性であるエバに由来するとも考えることができるのではないかと思いました。

 

エヴァの物語では、主人公の碇シンジの父である碇ゲンドウは「人類補完計画」を通して自身の妻である碇ユイに会おうとすることを目的としていました。

ユイはエヴァンゲリオン初号機に肉体ごと取り込まれていており、ある意味エヴァンゲリオンの中に存在するとも言えます。

また、新劇場版でゲンドウがエヴァンゲリオンに乗るシンジの中にユイを見出した描写を見るに、ある種エヴァンゲリオンを通してユイに再会することができました。

このような理由から、ユイ(妻)をエヴァ(ンゲリオン)と考えると、聖書的な意味合いとも係ってくるので辻褄が合うのではないでしょうか。

 

まとめ

まとめると、

・エヴァはキリスト教をモチーフとした用語や描写があり、キリスト教にインスパイアされている部分があると思われる

・エヴァンゲリオンはギリシャ語で福音という意味で、シンジたちや人類や使徒という敵やエヴァの存在する世界から脱却し救われることとかけているのではないか

・旧約聖書に登場するアダムの妻エヴァと、エヴァに取り込まれたゲンドウの妻ユイをかけてタイトルの由来にした可能性がある

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最後まで読んでいただきありがとうございました!

 



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