エヴァの碇ゲンドウは父親としてクズでひどい?なぜシンジに冷たいのか?

エヴァの主人公・碇シンジの父親で、ネルフの司令官である碇ゲンドウ。

作中では決して口数が多くはなく、感情を吐露することが少ないため非道な一面が印象的ですが、本当は一体どのような人柄なのでしょうか?

今回はゲンドウは父親としてクズでひどいのか、なぜシンジに冷たいのかについて深堀します^^

エヴァンゲリオン:碇ゲンドウは父親としてひどい

碇ゲンドウは作中での非道な立ち居振る舞いから、父親としてひどいと視聴者からよく言われています。

残念ながら、それは否定することができません。

 

私が最もひどいことだなと思ったのは、何も説明せずシンジを親戚に預けてシンジから離れたことです。

なぜゲンドウがシンジから離れたのかというと主に理由は2つあります。

1つが妻・ユイを失ったショックから、ユイと再会することに執着して人類補完計画に傾倒したこと。

2つ目が、彼は彼の人生の背景から、他人からの愛情を受けてこなかったため、シンジにどう接していいかわからず、拒絶されるのを恐れていたからです。

 

でもこれって、非常に自分勝手ですよね。

幼少期に親からの愛情を注がれなかった子ども(シンジ)は、自分は人から愛されない存在なのだと思い込んでしまいます。

 

初号機の接触実験のために研究室に連れられてきたシンジは笑顔にあふれ、両親から大いに愛を注がれてきたのがうかがえますが、

人間は衝撃的な出来事の方が記憶に残るので、シンジ自身は父親に捨てられて、母の愛を知らず(事件後にシンジのユイに関する記憶を消しているため)、自分は一番近しい人からも愛されない存在と思っています。

 

現にシンジは自己肯定感の低く、自己愛が確立していないがゆえに他者からの愛を強烈に望み、エヴァパイロットでいることで他者からの承認を得ようとしていました。

自分で自分のことを大切にしない、苦しい生き方の沼にどんどんハマっていっていますね。

 

新劇場版でシンジは精神的にものすごい成長を遂げますが、自分の子どもに長らく苦しい生き方をさせてしまっている責任は非常に重たいと思います。

父親としてクズな行動

ゲンドウが父親としてクズと言われても仕方がない行動はたくさんあります。

ただ、数が多いので特に印象的な出来事の2つに絞ってご紹介します。

 

まず1つ目が、第壱話で長らく会っていなかったシンジと再会するといきなり「エヴァに乗れ」「乗るなら早くしろ。でなければ帰れ」と言い放ったことです。

何の理由も説明せずシンジにネルフに来るよう呼び出しといて、何の説明もなく使徒と戦えというのは急すぎるし、14歳の、しかも実の子どもに言うことではありません。

息子の命を何とも思っていないかのような、あまりに酷すぎる行動です。

 

しかもシンジがエヴァの搭乗を拒むと、代わりに傷だらけのレイを搭乗するよう命じて、レイがボロボロで苦しんでる姿をシンジに見せつけます。

シンジは優しい性格なので、レイを放っておけるわけないですし、しかも父から認めてほしいという想いが幼少期からずっとあるから、尚更断れるはずがないのです。

息子の気持ちを利用した作中での最も非道な代表例と言えるでしょう。

 

2つ目が、ゲンドウには赤城ナオコとリツコという2人の愛人がいたことです。

しかもこの2人は母と娘でという関係なうえに、ゲンドウと同じネルフ勤めです。

要はゲンドウは親子を自分の愛人にして、さらに同じ職場内の女性と男女関係にあったのです。

私がシンジの立場だったら、こんな事実を知ってしまったら言葉では言い表せないほどのショックを受けてしばらく立ち直れないと思います。

加えて、自分には愛情を与えてくれないのに、女性には愛情がある(ように見える)…やり場のない憎さや怒りも抱えてしまうでしょう。

 

また、100歩譲って(譲らないけど)ゲンドウから彼女たちに対して愛があればまだいいのですが、彼には愛があるようには感じませんでした。

ゲンドウの態度や行動(リツコを射殺)を見るに、恣意的な人類補完計画を達成しユイと再会するために、科学者として優秀な彼女たちを利用しているだけです。

 

これだけでもゲンドウは父親としてクズと言われても仕方がないですよね…。

碇ゲンドウの性格・人間性

ゲンドウの性格は、基本的に利己的で冷酷です。

作戦(使徒殲滅)の成功や自身の目的達成(恣意的に人類補完計画を利用し、ユイと再会すること)のためなら手段を選びません。

使徒との交戦で実の息子のシンジが命の危機に晒されても作戦の決行を命じたり、TVアニメの後半でアスカが使徒の攻撃の影響で廃人になった際には「囮には使える」といった旨の発言をしており、その冷酷かつ淡白さがうかがえます。

上記したようにTV版ではリツコの母・赤城ナオコと愛人関係にあり、ゲンドウの方はそのような気持ちがなく科学者として優秀なので赤城親子を利用していることにもその利己的な性格が表れていますね。

 

その他の性格の特徴としては、良い言い方をすれば一途で、悪い言い方をすれば執着心が強いです。

恣意的な人類補完計画もユイとの再会のために全てを捨てて、それしか目にないので、それほどまでに愛情深いとも言えますし、見方を変えれば非常に依存心が強いとも捉えられますね。

 

また、人に対して極端に恐怖を持っています。

新劇場版の終盤で自ら語っていましたが、親の愛情を知らずに育ったため、親や他人から受け入れられる経験が極端に少ないようです。

そのため、人に対して恐れを抱いて壁を作って他人を受け付けない気質です。

ゲンドウはなぜシンジに冷たいのか

ゲンドウがなぜシンジに冷たいのか…、エヴァンゲリオンシリーズを通して言えることは、彼は自己愛が形成されていないこと、これと連動して自己肯定感が低いことが一番の根本原因なのではないでしょうか。

 

というのも幼少期の親との関係や家庭環境は、子どもの自己愛の形成や自己肯定感に非常に影響を及ぼします。

親は幼少期の子どもにとって一番身近で一番長く一緒にいる人だからです。

ですので、親からどれだけストレートに愛情を注がれているかが、子どもが他者からの愛を実感し、自分は愛に満ちた存在なのだと認識して自己愛が確立し、その子の自己肯定感の決定づけます。

 

自己愛が確立していれば「自分は愛されている存在なんだ」と自己肯定感が高い状態なので、他者に対して拒まれることを極端に恐れたり、距離を取って人との関りを遮断して壁を作ることもありません。

何よりも、他者に対してストレートに愛情を与えることができます。

 

しかしシリーズを通して、ゲンドウは自己愛が確立していなかったことがうかがえます。

新劇場版でゲンドウはこれまでどういう人生を歩んできたのかをシンジに語っていましたが、その際に親からの愛情を知らず、他人に受け入れられた経験を極端にしてこなかったので、他人からの拒絶を恐れて、人との関りを自ら遠ざけてきたと述べていました。

また、旧劇場版でも、ゲンドウ自身は他人から愛されるに値しないと思い込んでいるような描写があります。

 

以上の理由から、自己愛が確立しておらず、他者からの拒絶を恐れるがゆえにストレートな愛情表現を知らなかったから、冷たく接するしかなかったのではないかと考えられます。

妻を奪った子供に対する嫉妬と戸惑い

エヴァンゲリオンはTVアニメ、映画、漫画、小説と多岐に渡ってシリーズ展開をしています。

それぞれ迎える結末やストーリーの過程が異なるのが魅力的な一方で、作品によってはキャラクターの性格が微妙に異なり、性格に強烈さを増している部分もあります。

 

それが顕著なのが漫画版のエヴァで、こちらではゲンドウのシンジに対する嫉妬心がむき出しです。

かつ冷酷さが増した人物として描かれています。

それを象徴するのが、シンジの胸ぐらをつかんで、「だが、あいにくだな。私はお前を愛しいと感じたことはない。生まれたその瞬間から、私は、母親の…ユイの愛情を一身に受けるお前が妬ましかった」と言うシーンです。

ゲンドウがユイをいかに愛していたかがわかる反面、やはり自己愛が確立していないからこそ、歪んだ愛が行き過ぎてしまって手が付けられない状態になっています。

本来なら愛すべき子供に向かって怒りをむき出しにしているというのは、ちょっと異常ですよね。

 

これはシーン的に、自分の弱さ認めて本音をオープンに曝け出しているのではなく、ゲンドウがただただ相手の事を考えず自分の利己的な想いをぶつけて相手を攻撃して傷つけているだけです。

これではシンジが傷ついて余計に自分は誰からもわかってもらえない・愛されないという気持ちを強めて、他者に心を閉ざしかねません。

嫉妬があるのは構いませんが、新劇場版のようにそのような弱さを認めたうえで吐露してほしかったですね…。

「すまなかったな、シンジ」セリフの意味

これまでゲンドウはひどい!わからず屋だ!というような書き方になってしまいましたが、ゲンドウはゲンドウで最後には自分の過ちを自覚しています。

実はゲンドウは旧劇場版・新劇場版ともに、「すまなかった」とシンジへの心境を述べています。

旧劇場版では、エヴァ初号機に捕食される間際にシンジに対して「すまなかった」と言いました。

こちらはシンジがゲンドウと親子としての関係性を築いていきたい・触れ合いたいことを強く望んでいることに気付けたからです。

しかし残念ながらシンジ本人に直接伝えることができず、初号機にそのまま捕食されてしまいました。

旧劇場版は、親子なのに最後の最後まで分かり合えない無情さや悲しみが切なく、現実はうまくいかないものだというメッセージを感じられます。

 

一方で新劇場版では、ゲンドウはシンジに自らの人生の背景を吐露し、自分の弱さを曝け出し、心をオープンに開きました。

シンジも終盤までの間にアスカ、レイ、ミサト、マリとの別れや衝突、向き合って想いを伝えることをしていく中で、自己愛を確立していたので、「愛して!愛して!」ではなく、

父親がこれまでどんな心境だったのかという相手の話を聴く体勢ができていたので、ゲンドウの心をちゃんと受け止めることができ、和解をすることができました。

 

どちらも「すまなかった」にも根底にはシンジへの愛情がありましたが、旧劇場版が最後の最後まで気づくのが遅れたため過ちへの謝罪のニュアンスが強いのに対して、

新劇場版では旧劇場版ほどのコミュニケーションの齟齬は感じられず、根底にはシンジへの愛情が深く存在していたことがわかります。

 

まとめ

・ゲンドウは人からの拒絶が怖くて、人を遠ざけたりする立ち居振る舞いからしかシンジと接することができなかったため、父親として酷い

・漫画版のエヴァでは、シンジが生まれてからは自分に注がれる分のユイの愛情がシンジに向けられていたので嫉妬心を抱いていた

・「すまなかった」は旧劇では謝罪、新劇では愛情のニュアンスが強い

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最後までお読みいただきありがとうございました!



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