宮﨑駿の生い立ちや性格は?結婚していて奥さんはいるの?

※本サイトはプロモーションを含みます

宮崎駿といえば、誰しも知るスタジオジブリの監督ですよね。

 

作品についてはフォーカスが当たることは多いですが、監督自身の人生やバックグラウンドに焦点を当てて掘り下げる機会というのは少なかったかと思います。

 

そこで今回は、宮崎駿監督の生い立ちや性格、婚姻関係について詳しく掘り下げていこうと思います^^

宮﨑駿のプロフィール

名前:宮崎駿(みやざき はやお)

別名義: 秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てるき つとむ 又は てれこむ)

生年月日: 1941年1月5日(77歳)

出生地: 東京府東京市

血液型: O型

職業: 映画監督、アニメーション作家、漫画家

ジャンル: 映画、テレビアニメ

活動期間: 1963年 –

配偶者: 宮﨑朱美(妻)

著名な家族: 大田耕士(義父)、宮﨑吾朗(長男)、宮﨑敬介(二男)、堤大介(義甥)

事務所: スタジオジブリ

宮﨑駿の生い立ち

Sponsored Link

宮崎駿監督は1941年1月5日に、東京府東京市(現・墨田区、文京区)に4人兄弟の次男として生まれました。

 

実家は「宮崎航空興学」という飛行機の部品を製作する工場を経営していました。

 

戦時中なので需要が充分あり、数千人規模の従業員が働く工場のため裕福だったそうです。

 

幼少期は体が弱く運動が苦手でしたが、絵を描くことが得意でした。

小学校時代は、読書家で、漫画も好んでいました。特に福島鉄次の絵物語「沙漠の魔王」のファンだったそうです。

東京都立豊多摩高等学校3年生の時に観た東映動画製作「白蛇伝」に感動して、アニメーションにも関心を持つようになりました。そこからデッサンを学ぶようになり、ポール・セザンヌのような印象派に影響を受けたそうです。

 

ちなみに、戦時中の体験が、作品に影響を与えた部分があるようです。

 

宮崎監督が4歳の時に、宇都宮では空襲がありました。監督はトラックに乗って避難しましたが、中にはトラックに乗れず、その場に残された人々もいました。

娘を抱きかかえた母親が、「娘を乗せてやってください」と言っても、トラックの運転手は耳を貸さずに見捨てたそうです。

また、戦時中は周りが物資に苦しんでいる中で、実家が裕福だったことが心の中に引っかかっていました。

 

この経験が「コクリコ坂から」、「風立ちぬ」を制作するうえで、構想の一助になったのだとか。

 

宮﨑駿の性格

ここでは性格について見ていきますが、

私たちは仕事やプライベート、またその人との関係性によって人当たりもだいぶ異なりますよね。

今まで仕事面の顔は多少なりとも見てきたので、今回は監督の、家庭での顔にスポットライトを当てたいと思います。

 

さて、家庭での顔がどうであったかというと、

息子の宮崎吾朗さんは、

「子供の頃、父と接している時間よりも父の作品と接している時間の方が長かった」というような発言をしています。

「僕は子どもの頃から何ひとつ親らしいことを、宮崎駿さんにしてもらったことはないです」

ともブログに綴っています。

 

宮崎駿監督の奥さんは、つまり母親は吾朗さんに、

「あなたはお父さんのようになってはいけない、あの人は何ひとつ人間らしいこと、父親らしいことをあなたにしてくれなかった。あなたはそんな人間、アニメ屋になってはいけない」

と言っていたそうです。

 

どうでしょうか。

もちろんこれは宮崎監督の家庭での、ほんの一部の顔にすぎないでしょう。

しかし、奥さんや息子さんの発言からもお分かりのように、プライベートを犠牲にして作品の製作に没頭していたことが伺えます。

自分が納得する作品を制作するには、世界中の人を魅了する作品を作るには、それほどの熱量があってはじめてできるのかもしれません。

宮﨑駿は結婚している?

 

宮崎監督は、1965年秋に妻の朱美さんと結婚しました。

朱美さんは当時、宮崎監督よりも実力を評価されていたアニメーターだったそうです。

 

宮崎監督の長年の友人は、朱美さんについて、

「奥さんは東映動画の先輩アニメーターで、“絵のうまさ”で高い評価を受けていたんです。当時は、宮崎さんより将来を嘱望されていたそうですよ」

「奥さんは“絵は私のほうが宮崎よりもうまいのよ”と言うんです。“でも、結婚したら私が絵を描く仕事をやめることになっちゃった”と、私に寂しげに愚痴を漏らしたこともありました。本当は、自分の作品も作りたかったんでしょうね……」

と、語っています。

 

次男の出産を期に共働きの大変さを実感し、朱美さんは宮崎駿監督を支えることに専念しました。

家庭との折り合いは難しいものがありますね。

それにしても、宮崎監督を凌ぐ腕前とはどのようなものだったのでしょうか。

未だに現役だったらと想像すると、ワクワクしますね^^

まとめ

いかがでしたでしょうか。

 

・宮崎監督は幼いころから絵を描くことが得意で、戦時中の体験が作品作りに影響していた。

・家庭での時間を犠牲にして、作品作りに没頭していた。

・当時宮崎監督を凌ぐ腕の持ち主であった朱美さんと結婚している。

最後までお読みいただいてありがとうございました。

米林宏昌監督のスタジオジブリの退社理由は?現在は独立している?

Sponsored Link

本や読書好きの方にシェアしてこの情報を届けませんか?
記事が参考になったという方は
FBなどで「いいね!」もお願いします^^!



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です