鈴木敏夫と宮﨑駿の関係性は?出会いからジブリのエピソードまで紹介

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スタジオジブリのプロデューサーとして、「紅の豚」、「耳をすませば」、「千と千尋の神隠し」などなど、数々の作品を手掛けてきた鈴木敏夫さん。

宮崎監督やジブリの作品を掘り下げては来ましたが、スタジオジブリの関係者についてはあまり触れてきませんでした。

そのため今回は、鈴木敏夫プロデューサーについて掘り下げたいと思います^^

鈴木敏夫とは?

鈴木敏夫さんは、映画プロデューサー・編集者・スタジオジブリの代表取締役を務めるなど、様々な面で活躍しています。

今回は経歴を以下にまとめました。

1948年 – 愛知県名古屋市にて誕生。

1967年 – 慶應義塾大学文学部入学。

1972年 – 徳間書店入社。

1982年 – 徳間書店「月刊アニメージュ」副編集長。

1986年 – 徳間書店「月刊アニメージュ」編集長。

1989年 – 徳間書店退社。

1989年 – スタジオジブリ入社。

1989年 – スタジオジブリ製作部部長。

1990年 – スタジオジブリ取締役。

1997年 – 徳間書店スタジオジブリ・カンパニープレジデント。

1999年 – 徳間書店スタジオジブリ事業本部本部長。

2004年 – 東京大学大学院情報学環特任教授。

2004年 – スタジオジブリ社長。

2008年 – スタジオジブリ取締役。

鈴木敏夫と宮﨑駿の関係性について

今となっては付き合いの長い鈴木さんと宮崎監督ですが、鈴木さんはその関係性について次のように語っています。

「(「風の谷のナウシカ」の製作前に)宮崎駿、高畑勲の先輩にあたる(アニメーターの)大塚康生氏に2人(宮崎・高畑監督)のことを聞きにいったら、

『簡単だよ。宮さんはいろんなこと言うけれど、大人が言ったと思わないで子どもが騒いでいると思ったほうがいいよ』って。

そこから何を言おうが『また言っている』って思うようになった」

2016年に公開した「レッドタートル ある島の物語」のインタビューでは宮崎監督について、

「いやー、天才ですよね。ここまで付き合ってきていまだに飽きない。見ていて楽しくて仕方がない」

と、言っています。

一方で宮崎監督サイドでも、次のようなエピソードがあります。

スタッフが宮崎監督・高畑監督・鈴木さんを3兄弟に例えて話していた時に、鈴木さんが末っ子に例えられました。

すると宮崎監督は、

「『鈴木さんは僕らのお父さんなんだ』」

と、言っていたそうです。

なるほど、お互いに自分たちの立ち位置というか、距離感を自覚していることがうかがえますね笑

鈴木敏夫と宮﨑駿の出会い

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鈴木さんが徳間書店に勤めていた時、「アニメージュ」という雑誌を創刊することになりました。

しかし当時は、アニメに関する知識をあまり備えていませんでした。

そのため創刊するにあたり知識を蓄えようとした際に、アニメに詳しい女子高生にアニメについて教わる機会がありました。

そこで宮崎監督が関わった、映画「太陽の王子ホルスの大冒険」を勧められました。

この「太陽の王子ホルスの大冒険」は、映画の背景にベトナム戦争がありました。

子ども向けのアニメと思っていた鈴木さんは映画を観て、衝撃を受けたそうです。

これがきっかけで、宮崎監督に会いたいと思ったそうです。

その後、「アニメージュ」で「風の谷のナウシカ」が連載することになりました。この作品映画化の話が持ち上がった際に、

鈴木さんは、宮崎監督と一緒にアニメーションスタジオで活動するなど、行動を共にするようになりました。

活動を共にすることで宮崎監督と深く関わるようになった鈴木さんは、作品のプロデュース業を始めるようになりました。

1984年公開の「風の谷のナウシカ」、1986年公開の「天空の城ラピュタ」を皮切りに、ジブリの作品のプロデュースをするようになり、

1988年には「火垂るの墓」、「となりのトトロ」を、

1989年には「魔女の宅急便」をプロデュースしました。ちなみに同年には、より一層プロデュース業に力を入れるためにジブリに出向しています。

そして、1991年の「おもひでぽろぽろ」でついにプロデューサーとしてクレジットされました!

それ以来、全てのジブリ映画でプロデューサーを務めています。

ジブリの裏エピソードについて

これだけ長い間愛されているジブリ作品は、当然都市伝説や裏話もファンの間で話題になります。

以下に裏話の一部をまとめました。

「天空の城ラピュタ」の構想時期

実は「天空の城ラピュタ」は、宮崎監督が小学校5年生の時に構想していたそうです。

他の映画監督や、某人気漫画家でもそのような回答をする方は多いですよね。

創作に携わる人は、子供時代から想像力や感受性が豊かですね!

 

「風の谷のナウシカ」と「エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督

 

庵野秀明監督はエヴァンゲリオンの監督として有名ですよね。

なんと庵野秀明監督は、「風の谷のナウシカ」で、作画を担当したシーンがあるそうです。

それは、ナウシカの巨神兵のシーンです。

迫力のあるシーンは、後のエヴァンゲリオンを彷彿とさせますね。

「千と千尋の神隠し」は風俗だった?

「千と千尋の神隠し」の裏話の中には、風俗が舞台なのではないか、というものがあります。

この噂に対して宮崎監督はインタビューで、「風俗営業を描いた」と回答したそうです。

確かに、幅広い年齢層の人が見やすいように表現が柔らかくされているので気付きにくい部分もありますが、そのような点を意識して観てみるのも良いかもしれません。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

まとめると、

鈴木さんと宮崎監督は親子のような関係性である。

その絶妙な距離感だからこそ、今日まで関係が続いているのかもしれません。

子供から大人まで魅了するジブリ作品ですが、そこには戦争や風俗などの要素も作品に散りばめられています。

そういう視点を持って作品に接すると、見方も変わってくるかもしれませんね。

また、今回は上記の裏話をご紹介しましたが、これらは一部に過ぎません。作品そのものだけでなく、制作秘話や裏話なども知ると、より一層ジブリが好きになりますね!

最後までお読みいただいて、ありがとうございました。

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