夏目漱石の生い立ちと性格は?妻に暴力を振るっていたのは本当?

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明治の文豪の1人である夏目漱石。

「吾輩は猫である」、「坊ちゃん」、「坑夫」、「こころ」などなど…数々の名作は時代を超えてなお愛されています。

 

昨今は「坊ちゃん」や夏目漱石の人生などもドラマ化されて、様々な形で漱石を目に触れる機会も増えてきているので、

夏目漱石の作品を1度は読んだことがある方も多いのではないでしょうか。

 

では数々の名作を世に放ってきた夏目漱石とはいったいどのような人物なのでしょうか?

今回は夏目漱石について深掘りしていきたいと思います^^

夏目漱石とは

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夏目漱石(1867年2月9日~1916年12月9日)は、明治を代表する小説家の1人です。小説家のほかに、評論家、英文学者としても活動しました。

 

小説を書いたきっかけは、教師を務めて転々とする中で、高浜虚子に勧められたからで、

雑誌「ホトトギス」に「吾輩は猫である」(1905年発表、38歳の時)を発表し、小説家としてデビューしましました。

 

「倫敦塔(ろんどんとう)」、「坊 っちゃん」など次々に人気作を発表し、人気作家の仲間入りを果たし、

 

1907年には教師を辞めて、作家業に本腰を入れるようになりました。職業作家としての第1弾「虞美人草(ぐびじんそう)」は大きな評判となったそうです。

 

それから住居を早稲田南町(みなみちょう)に移して、「坑夫」、「夢十夜」、前期三部作と呼ばれる「三四郎」「それから」、「門」を執筆しました。

 

「門」を執筆する頃から胃潰瘍を患うようになり、療養中に生命の危機に瀕することもありました。

 

以後、合併症を発症しながら作家活動を行うようになり、後期三部作である「彼岸過迄(ひがんかまで)」、「行人(こうじん)」、「こころ」や「道草」を執筆しました。

 

これらの作品を発表しながらも、病状は悪化し、「明暗」の執筆中に亡くなりました。

 

夏目漱石の生い立ち

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たくさんの名作を執筆してきた夏目漱石ですが、その家庭環境は複雑だったようです。

 

漱石は父・夏目直克の五男として生まれますが、

母が高齢出産だったことと、すでに子沢山だったことで、漱石の誕生は快く思われていませんでした。生後4ヶ月の時に里子に、1歳の時に養子に出されています。

 

養父が離婚し9歳で正家へ戻るも、父・直克と養父の対立が原因で夏目家への復籍は21歳まで遅れます。さらに正家復帰には金銭が絡んでいたようです。

 

このように漱石は家庭環境が落ち着かず、居場所を転々としていたので、何度も転校をします。

例えば、2年間のみ在籍した中学校を中退した後、新たに入学した学校を2ヶ月で中退するなどということがありました。

 

快く思われていない誕生、幼い頃から正家を離れて養子先を転々とする生活、金銭絡みでの正家復帰…

 

繊細で感受性が豊かな子供時代を、漱石はこのような複雑で重い環境で過ごしました。

子どもなりに気を遣い神経を使っていたことでしょう。

 

夏目漱石の性格

 

漱石の性格は、神経質でナイーブと言われています。

それはおそらく上記の複雑な家庭で、子供時代を送ったからではないでしょうか。

 

養子、戸籍問題など非常に繊細になってしまう環境。ましてや精神的に未熟な子供です。

大人の何十倍も堪えたはずです。

 

加えて、成人後はいくつもの病気を発症してしまったわけですから、いっそう敏感になっていたことでしょう。

 

漱石の性格の斜めに構えた部分、神経質な部分はこうした背景があったから形成されたのではないかと思います。

 

夏目漱石は妻に暴力を振るっていた?

 

このように神経質でナイーブな漱石は、ある発作に悩まされていたようです。

それは、暴力を突発的に振るってしまうという発作です。

 

留学中、イギリスでの生活が合わなかったこと、英文学研究に疑問を持った漱石は神経症を悪化させました。

帰国後は、悪化した神経症が原因で、家庭内暴力を振るっていたそうです。

 

実際に、漱石の妻・鏡子さんが著した「漱石の思ひ出」には、「いきなり娘を殴った」ことが記述されているそうですし、

漱石の息子の伸六さんも「急に怒り出して子供を殴る・蹴ることがあった」、「発作が起こると顔が茹でたように赤くなる」と述べていたようです。

 

このように人1倍神経質で、ナイーブな漱石は神経症に苦しめられました。

いつ家庭が崩壊してもおかしくない中でも、家族は漱石を支えることに決めました。

 

それは周りが漱石との離婚を進める中で妻・鏡子さんが言った、

「私が嫌で暴力を振るって離婚したいなら離婚します。けれど、今のあの人は病気だから、私達に暴力を振るうのです。治る甲斐もあるのですから、別れるつもりはありません」

という言葉からも伺えます。

 

その意志の、決意の強さが表れていますね。

漱石のその後の活躍の裏には家族の支えがあったからということができるでしょう。

まとめ

いいがでしたでしょうか。

まとめると、

・夏目漱石は養子・居住地を転々とする複雑な家庭環境だった

・そのため神経を使うので、ナイーブな性格が形成された

・神経症を悪化させ、家族に暴力を振るうことがあった

 

最後までお読みいただいてありがとうございました。

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