手塚治虫の死因となった病気は?人柄や性格はどんなだった?

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日本を代表する漫画家の1人であり、漫画界での偉大な功績から「漫画の神様」と呼ばれる手塚治虫さん。

 

ストーリー漫画の第一人者として第一線で活躍し続け、「火の鳥」、「ジャングル大帝」、「三つ目がとおる」、「アドルフに告ぐ」などなど…時代を超える名作を数々残してきました。

2000年代には、代表作の1部である「鉄腕アトム」や「ブラック・ジャック」のアニメがリメイクされていますので、手塚作品に触れて育った方も多いことでしょう。

 

では、数々のヒット作を世に放ってきた手塚治虫さんはどのような人物なのでしょうか?

今回は、手塚治虫さんの死因となった病気や人柄、性格について掘り下げていきたいと思います^^

手塚治虫とは?

手塚治虫さんは、日本の漫画家・アニメーター・アニメーション監督です。

 

大学在学中に、「少国民新聞」にデビュー作である4コマ漫画・「マアチャンの日記帳」を連載し漫画家生活をスタートさせました。

以後、「鉄腕アトム」、「ジャングル大帝」、「リボンの騎士」、「火の鳥」、「ブラック・ジャック」、「三つ目がとおる」、「陽だまりの樹」、「アドルフに告ぐ」など、誰もが知る作品を描いて、人気作家としての地位を確立していきます。

 

特に「鉄腕アトム」(1963年1月1日~1966年12月31日まで放送)は、日本初の30分アニメとして当時話題になり、視聴率(最初にアニメ化されたアトム)は初回27%、最高40%に到達するほどの人気で国民的アニメとなり、視聴者を熱狂させました。

 

この作品は日本初の30分アニメーションだったこともあり、その後の日本アニメに大きな影響を与えています。

手塚治虫の死因と病気

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手塚治虫さんは60歳という若さで亡くなりました。

生前は働き詰めで、平均睡眠時間は4時間、根を詰めているときは週に数日間は徹夜をすることがあったといいます。

 

漫画に対する意欲も高く人並みならぬ仕事量をこなしていましたが、さすがにそのような生活習慣が積み重なると、体に悪影響を及ぼしました。

1988年、スキルス性胃癌という病気で入院します。次第に病状が悪化していき、意識を失うこともあったようです。

 

手塚さんはこのような状況でも意識が戻るとすぐに、病室のいた人に「鉛筆をくれ」と言い仕事に取り掛かろうとします。

しかし意識を失ってしまう状況が続き、思うように仕事ができませんでした。

 

そのような危うい健康状態だったので医者や奥さんの説得を試みますが、

それでも手塚さんは耳を貸さずに、「頼むから仕事をさせてくれ」と、仕事をし続けました。

手塚治虫の人柄・性格

 

皆さんがよく見かける手塚治虫さんの写真といえば、おそらく優しい表情で微笑んでいる写真でしょう。

 

新しく刊行されている手塚作品の作者紹介欄には、おそらくその写真がよく使われていると思いますので、手塚作品を読んだことがある方は、優しいイメージを抱くのではないでしょうか?

ですが実は、そのイメージとは裏腹に、手塚治虫さんは負けず嫌いで嫉妬深い一面を持った人物なのです。

 

特に才能のある漫画家には、非常に嫉妬していたようです。

 

以下にいくつかのエピソードや発言をご紹介します。

1.水島新司への嫉妬

野球漫画の名作の1つである「ドカベン」の作者・水島新司さんに対して、

「君はいいよねえ。野球漫画だけ描いてればいいんだから」と述べたそうです。

 

当時、「巨人の星」、「ドカベン」をはじめとしたスポ根漫画が流行していました。

 

スポ根漫画について、「これのどこが面白いの?」と周りに訊いていたそうなので、スポ根という分野を書かない手塚さんにとって隣の芝が青く見えたのでしょうか。

 

2. 大友克洋への嫉妬

「AKIRA」で知られる大友克洋さん。その緻密で繊細な作画、デッサン力は漫画界で評価が高いですよね。

 

手塚さんはその大友さんに対して、「君の絵を虫眼鏡で見てみたけどどこもデッサン狂ってないね。でも僕にも描けるよ。」と発言したそうです。

 

しかしその後は「僕はデッサンの基礎をやっていないから、こんな絵を見せられてはたまらない。一も二もなく降参する。」と訂正していますので、どうやら大友さんの画力と自身の画力を比べて悔しがっていたのかもしれません。

 

3.石ノ森章太郎

「仮面ライダー」の原作者として著名な石ノ森章太郎さんは、手塚さんを尊敬していました。

尊敬する手塚さんに「仮面ライダー」の原稿を見て貰うために自宅まで行くと、原稿は玄関先でビリビリに破かれたそうです。

 

そして「石森君、あんなものはマンガじゃないよ。」と一言呟きました。

 

これにショックを受けた石ノ森さんは、「自分には漫画の才能は無い。」と引退の決意を関係者に漏らしました。

 

引退の件を聞いた手塚さんは、石ノ森さんに直接謝罪をして、この一件落着しました。

なぜそのような発言をしたのかというと、「仮面ライダーがセリフなしで繰り広げられた事に、嫉妬を覚えた。」からだそうです。

 

漫画界を代表する作家の方々に対してこの強気の発言・行動をする手塚さんの負けず嫌いの度合いのすごさがわかりますね。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

まとめると、

・手塚治虫さんは、胃癌を発症して亡くなった。

・病状が悪化しても最後まで仕事への情熱を持ち続けた。

・非常に嫉妬心を持ち、負けず嫌いな性格持ち主だった。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました!

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2 件のコメント

  • 石ノ森章太郎の件は違いますね。「仮面ライダー」にはセリフがありますので。ちなみに、「仮面ライダー」はテレビ放送の方が漫画より先です。それに、同じ漫画家として、目の前で原稿を破くような酷いことを手塚先生がやるわけありません。石ノ森先生の実験的な作品「JUN」にまつわるエピソードと混同されているのだと思います。「JUN」は手塚プロの漫画雑誌「COM」に発表された作品で、セリフがほとんどありません。手塚先生が酷評したことで石ノ森先生がショックを受けましたが、手塚先生は結局謝罪されたようです。石ノ森先生は手塚先生の弟子のような存在です。わりと有名な話で、知っている方も多いと思いますよ。Wikipediaなどにも出ていますので検索してみてください。

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